わが家の海外移住準備と断念の記録|家探し・学校探しで見えた現実
【きっかけ】“いつか海外で暮らしてみたい”が現実に動き出すまで
「いつか海外で暮らしてみたい。」
そんな思いを抱いたことはありませんか?
夫と私は大学の同級生です。国際系の学部だったこともあり、もともと2人とも海外生活への憧れがありました。学生時代はバックパックでの海外旅行をしたことも。
社会人2年目ごろから、夫は海外MBA留学を真剣に検討し始めたようです。結婚し、子供が産まれても諦めず勉強を継続していました。彼が勉強を続ける姿を見て、「この挑戦を家族みんなで応援したい」と思うようになりました。
【家族の選択】単身ではなく、家族で行くと決めた日
2022年1月、夫がついにMBA合格を達成します。あっという間の子供たちの成長を夫婦揃って見届けたい、家族で一緒にいたいとの思いから、単身留学ではなく私と子供たちも帯同する方針としました。もちろん不安もありましたが、「今このタイミングを逃したらきっと後悔する」と思ったのです。
【行き先の決定】スペインかシンガポールか、家族会議の結末
最終的に夫が合格したのは2校。国はスペインとシンガポールです。ぎりぎりまでかなり迷っていましたが、「将来的にアジアでビジネスをしてみたい。」という理由でシンガポールに決定しました。
ちなみに留学期間が学校により異なっていて、スペインの場合は2年間、シンガポールの場合は 1年半です。
夫の留学がメインでありましたが、実は家族の立場としても、密かにシンガポールを推していました。
理由は主に3つです。
- ・日本から近く、いざというとき帰国しやすい
・滞在期間が短く、費用を抑えられる
・多民族国家で、私が好きなインド文化にも触れられる - 当初は2022年の夏入学の枠で合格していましたが、2023年夏入学に延期させてもらいました。2022年の5月に末っ子の妊娠が発覚したためです。コロナ渦でオンライン授業が増えていた影響などから、入学を延期するケースは多かったようで、比較的すんなりと受け入れてもらえました。※実は現地で出産できるかも少し検討しました。
【準備スタート】動き出した時期と最初にしたこと
本格的に動き出したのは、出発の半年前ごろでした。(夫が合格したのが2022年1月、行き先と時期を決めたのが同年の7月で、12月に末っ子が誕生。産後少し落ち着いてから準備を開始した感じです。)
最初に取りかかったのは「情報を集めること」。シンガポールに駐在している方や、我が家と同じく子連れで留学している方のブログ、SNSなどを参考にしました。
駐在や社費留学の方が多く、子連れでの私費留学は結構チャレンジングなのかも、と、うすうす感じ始めました(遅い)。が、住む場所と、子供の幼稚園
を最優先に、リサーチを進めました。
【現地のリアル】物価の高さと“2拠点生活”という選択肢
準備の序盤で問題が発生。とにかく、物価が高いのです。5人家族で住めるコンドミニアムの家賃は最低でもひと月50万円〜、子供の幼稚園が10万円〜。物価の高さに驚きつつも、「別の選択肢を探そう」と方向転換しました。
そして見えてきたのが、シンガポールの隣国マレーシアへの“2拠点生活”という方法です。
実はマレーシア第二の都市であるジョホールバルは、シンガポールの中心街から陸路で1~2時間ほど。シンガポールに単身用の部屋、ジョホールバルで家族用のコンドミニアムを借りても、シンガポールで家族で住むより家賃が抑えられます。
また、マレーシアはインターナショナルスクールの学費が他の国より安価で、子連れ留学先として非常に人気があることもわかってきました。
子どもの学校探し
マレーシアは子連れ留学先として人気なのは先述の通りですが、学校のリストの中から、予算内かつ通学が便利そうな学校をいくつかピックアップし、問い合わせをしました。
どの学校も魅力的で先生方は丁寧に対応してくれました。
家探し
シンガポールの物件は夫が、マレーシアの物件は私が探しました。
シンガポールの物件を見た後だったので、マレーシアの物件は目に優しく、探していて楽しかったです。
どちらもいくつかの業者さん・家主さんとやり取りをしましたが、最終的に信頼できそうな、印象の良かった方のところに決めました。信頼のおける対応の仕方は自分も心がけたいと思いました。
ビザ・保険・引越しなど、実務面の準備
家と学校がある程度決まり、ようやく実務的な準備に入ります。
ビザの申請、海外保険の選定、予防接種、引越し業者の比較…。
ひとつずつ進めながら、「このまま順調に行けば本当に移住できるんだ」という実感が少しずつ湧いてきました。
【断念の決断】渡航2日前の発熱と、家族の選択
全ての準備が整い、夫が一足先にシンガポールへ渡航。義母が泊まり込みでサポートに来てくれて、私は日本の家の片付けや荷造りなど最終準備をしました。
そして、渡航が2日後に迫った8月1日のことでした。長男が40度の発熱。インフルエンザでした。
出発予定日の8月3日になっても熱は下がらず。渡航は延期しました。
夫の学校のスケジュールなどを考慮し、9月22日に渡航することに決め、1.5ヶ月ワンオペ育児を粛々とこなします。
そして、渡航が翌日(というか数時間後)に迫った9月22日の夜のことでした。末っ子が40度の発熱。
もちろん渡航を延期します。
数日後、発疹が出て突発性発疹だったことがわかりました。お医者さんには熱が下がれば飛行機に乗ってもいいと言われましたが、ここで家族会議。
相当に悩みましたが、結果夫が単身で留学することに決めました。
というのも、私たち夫婦の頭の中には、4月から5月にかけて、次男が川崎病で入院していたという残像がありました。幸い次男は後遺症もなく、マレーシアの病院なども調べて「行ける」と思っていました。
しかし、渡航直前の発熱の連発により、私たちは長年の保育園生活で分かっていたはずの現実を改めて突きつけられたのです ー「未就学児の体調は、すぐに崩れる」。
仮に夫がシンガポール、私がマレーシアでワンオペ中に誰かの体調が崩れたら?
もし入院が必要な事態になったら?
入院に付き添っている間、兄弟の面倒は誰が見るのか?その段取りをしている間に対応が遅れてしまったら?
命には変えられない。生きていればいつかまたチャンスはあるだろう。ということで、決断しました。
非常に残念ではありましたが、冷静に考えれば、あの判断は正しかったと思います。
子どもの健康を最優先にできたこと、それ自体が家族としての大きな決断でした。
振り返って感じたこと
しばらくは「準備が全部無駄になってしまった」と落ち込みました。
けれど時間が経つにつれ、家探しや学校探し、手続きの経験すべてが、自分たちの「知識」として残っていることに気づきました。
あの過程があったからこそ、次に同じ道を考えるとき、より現実的に動けると思えます。
このブログで伝えていきたいこと
移住の準備の経験を通して、「海外移住の準備には、表には出ないリアルがたくさんある」と実感しました。渡航は叶いませんでしたが、準備を通して「やってみれば案外できる」という実感を得ました。家族や子供がいてもひとつひとつ進めれば移住はできる。夢を諦めなくてもいいのかも、と思えたことは、大きな収穫でした。
このブログでは、家探し・学校探し・費用・ビザなど、実際に行動して分かったことを記録していきます。子連れでの留学を考えている方、子供に海外で教育を受けさせたい方、海外で暮らしてみたい方と繋がったり、何かお役に立てれば幸いです。私も、いつかまたチャンスがあったら、家族での海外生活にチャレンジしてみたいです。その時にはこの経験を活かしたいと思っています。
次回は、最も悩みが多かった「子どもの学校探し」について、具体的な手順と現地のリアルをお伝えします。